新築・リフォームの(株)孝和建設 佐賀県唐津市の一級建築設計事務所

新築・リフォームの(株)孝和建設

フリーダイヤル:0120-70-1471


メッセージ > 代表挨拶

企業ビジョン

代表挨拶イメージ

この地域に根ざして半世紀。
長文にはなりますが
私と孝和建設の歩みを聞いて下さい。

幼少時、覚えているのは、
木材屋を創業した厳格な祖父。
市会議員もさせて頂いており
経営者と地域政治の両立は非常に大変だった事でしょう。

その厳しい祖父の横に、父の姿がありました。
父は、祖父の3人の息子の末っ子。
高校を退学になり、
出来の悪い三男坊で有名だったそうです。笑

木材屋は長男、次男が継ぎ
出来の悪かった三男の父は、
自分で不動産会社を創業するという道を選びました。

出来は悪くても、人は良かった父。

沢山の人々から、口コミでご紹介頂き、商売は順調にいくも、
その人の良さが運悪く災いして、
創業当初、知人の借金の肩代わりを被り
多額の負債を抱えてしまいました。

私は、幼少時
家でご飯を食べた記憶がありません。

いつも祖父の家でご飯を食べていた記憶があります。

おそらく今思うに、お金がなくて
家でご飯が食べられなかったのだと思います。

そんな中、笑顔を見せない厳格な祖父でしたが
父を陰ながらサポートし
支えてくれていたのだと思います。

父は、家族にはつらい表情をいっさい見せず
がむしゃらに働き、私が小学校になる位には
借金も完済し、家でご飯が
食べられるようになっていました。

その頃から、父は、不動産会社とは別に
建築会社を創業しました。

「栗原さんに土地だけではなく、家もお願いしたい」

ありがたいことに、そのようなお声を沢山頂き
創業の決意に至ったそうです。

創業したての歴史もない
小さな建築会社に集まってくれた、沢山の職人さんたち。
おそらく、父の人の良さに集まってくれたのでしょう。

毎日、家では、仕事が終わって、お酒を飲む
父と、大工さんたちの姿。

さぞ、母は大変だっただろうな、と思います。

そんな家庭環境で、私の周囲には大工さんがいつもいて、
小さなユンボーで土地を丁寧に造成する父の姿があり、
建築と不動産いう職種に自然と関わっていました。


放浪記
幼少、少年時代と
住まい全般の仕事をする家業の影響で培った、
住まいや生活に対する好奇心は
「日本だけではなく、世界の生活や建築を見てみたい」という思いへ変わり
学生時代には、バックバック1つと、ギターを持って
ユーラシア大陸を陸路で横断しました。

学生時代でお金がなかったので
雑誌社にスポンサーについて頂き
記事を執筆しながらの貧乏旅行。

この旅で出会った世界の生活スタイルや建築物は
純粋に視野の狭さを私に教えてくれた貴重な経験です。

その経験から、己の視野を広げるため、
初めての職業として
日本の首都でありビジネスの中心地である
東京での勤務を希望し、
同時に沢山の商売に触れられる広告業を選択し、
某大手広告・出版会社の東京本社に採用、配属して頂きました。


新人時代
業界屈指の厳しさとの噂通り、
営業初日に命じられたミッションは
飛び込み営業300件以上。
変な自信もプライドも
ズタズタにして頂き(笑)
ビジネスの基本と、
社会の厳しさを教えて頂きました。
今思えば本当に感謝です。

そして、最初の会社から課せられた課題。
「新規開拓を週1件、3ヶ月で合計12件」

私は、競合他社ひしめく
超激戦区の東京中央区への配置となり
このミッションにチャレンジすることになりました。

同期が、地方の都市配属で
楽々と目標を達成する中、私は、苦戦。
しかし、根性で何とか、営業最終日には
3ヶ月で11件の新規受注を
頂く事ができました。

周囲の先輩からは
「あの激戦区の中、新人で11件は凄いよ。
運が悪かったね。良く頑張ったと思うよ」
と暖かい言葉をかけて頂きました。

しかし、その日の会社の打ち上げで
忘れもしない出来事が起きました。

周りから、褒められて
有頂天な私を見て、私の直属の上司が

「サラリーマンなんて目標を達成して当たり前。
 何、へらへらしてんだ。
 未達成は、未達成なんだよ!」

と強い口調で私に檄を飛ばしました。

そして、
「なんで、あと1件受注できなかったんだよ。
 未達成癖なんてつけるんじゃねぇぞ。
 俺は全然嬉しくない。悔しい!」
と言ってくれ、その目には涙が浮かんでいました。

この時に、人を怒るのではなく
本当にその人のことを思い、
「叱る」ということを教えて頂きました。

今では私も3児の父親となりましたが
子供を叱るときの心境ですよね。
子供の事が憎いわけでも、嫌いなわけでもない。
でも、人として間違った事をしていたら
愛を持って、叱る。

この愛のある「叱り」を頂いた事が
自分を大きく変えた転機でした。

「目標なんて、やって当たり前」

この言葉を深く胸に刻み、
自分を叱ってくれた上司を男にしたいと思い
がむしゃらに働きました。

その結果、思いと努力と行動が実を結び
様々な、社内表彰をして頂き、
当時最年少でマネジメントの職種に昇格させて頂きました。

短い会社員生活でしたが、営業だけではなく
営業管理者として組織管理の基礎も学ばせて頂き
そして、仕事では述べ1000人以上の
経営者の方と交流させて頂いた経験は
今でも私の貴重な財産です。


栗原新聞
仕事の中でも記憶に残っているのは
ある歴史ある和菓子製造販売企業様である
関西、近江のT社様とのお付き合い。

当時、T社様は、私の会社への広告掲載はゼロ。
けんもほろろのお付き合いの状態でした。

同時期に、T社様は
業績が拡大し、人材の採用が急務。
しかし、和菓子という固いイメージがあり
採用がなかなか上手く成功していなかった状態でした。

私は、T社様の近江商人から引き継ぐ
商い(あきない)への熱い思い、
地域に対する感謝の姿勢、
従業員様に対する素晴らしい福利厚生等
とても素晴らしいと思い、
なんとかして、この会社様の良さを
広告媒体を通じて伝え、
良い人材の採用成功へ導きたいと思っていました。

しかし、決定権を持つのは
近江の本社。東京支店にいくら顔を出しても
けんもほろろ。。。

そんな中、思いついたのが
独自に調べた東京の求人マーケットをレポートした
「栗原新聞」なるものを独自で作り
近江の本社に、送信する事でした。

きっと、本社が東京ではないので
地方で、首都圏の採用マーケットの情報に
困っていらっしゃると思ったのです。

毎週1回位でしょうか。
勝手にFAXさせて頂き、
数ヶ月がたった頃でした。

会社に、近江弁で一本の電話が。

「栗原さんですか。今まで情報ありがとうございました。
 栗原さんの扱っていらっしゃる広告全てに
 最大サイズで掲載をお願いします」

とのことでした。

いきなりの電話で、金額で言えば
目ん玉が飛び出す位の大型受注でした。

これは、、、
決して、私の過去の自慢話じゃありません(笑)

この後、結論を結びますね。


私は、こんな金額を
こんな合った事もない新人に、
なんでお任せして頂けるんだろう?と
不思議になり、ちょっと金額にビビったのもあり(笑)
「私なんかでいいんですか?どうしてですか?」と素直に
お伺いした所、

「栗原さんは、近江商人のような事をやって頂けました。
 先義後利の姿勢に感動したんです」と言って頂けました。

先義後利とは
字のごとく、人として当然あるべき道義を優先させ、
利益を後回しにすること。

T社様からリクルートへ広告の掲載がないにも関わらず
あのつたない、「栗原新聞」をひたすら送るひたむきな姿に
自分たちも、この人に任せようと思ってくれたみたいです。

そこから、T社様とのお付き合いは始まり、
仕事をさせて頂く中で、
商い(あきない)に対する熱い思い。
地域を愛するが故の貢献。
従業員さんを愛する姿勢。
素晴らしい考え方を沢山教えて頂きました。


帰省の決意。そして
そうこうして
東京で順風満帆で仕事をする中で
ある人との出会いが、また自分の人生に
大きな転機を生み出します。

その人は、
国との国家プロジェクトで
米国や欧米のように、日本の若者にも
起業精神を啓発し、国が広報支援をするという
一大プロジェクトの総リーダーの方。

久々にあったその人から
「なんで、今の会社はいったん?」と関西弁で話しかけられ
「視野を広げ、社会人として能力を高めて、しいては
 自分でビジネスをしたいと思ったからです」と答えると

ぽつりと、その方は一言。

「社長になる一番の勉強は、社長になることや。
 多くの経営者と会っても、本を読んで勉強しても
 経営学の博士号を取ってシュミレーションしても
 結局は社長にならないと、本当の勉強はできん」

「お前、まだ20代やろ。あと3回は失敗できる。
 今は会社内で評価され、悠々自適にしてるなぁ。
 お前、社内出世に興味あんのか?」

「いや、ないです'」

「じゃあ、会社辞めてチャレンジせいや。
 早ければ早いほど、多くの失敗ができ、
 そこから学べる。そしてそのリカバリーもできる」

いきなりの唐突な言葉でしたが、
その言葉が、強く胸に突き刺さり、
悩むまもなく、会社にすぐ辞表を出しました。

社長まで、話が行き、多くの方が引き留めて頂きましたが
思いは変わらず、沢山の方に支えられ、成長させて頂き
沢山ご迷惑もおかけし、会社を卒業させて頂きました。

本当に、お世話になったR社には今でも感謝です。


そして、地元に帰省し、何かビジネスを始めようかと
思っていた矢先、ちょうど、自分の父が商売をしており
それを手伝うのもいいかなぁと思い、会社に入社させて頂きました。
全く、継ぐつもりなんて更々なかったので
今自分で振り返ってみても驚いています。笑

素人ながらに、
建築と不動産の世界を拝見させて頂くと
大変恐縮ながら、一言で言うと
サービスレベルが追いついていないと感じました。

恐らく、値段は家の方よりも安いですが
車を買うときの方が、より良いサービスを
提供しているのではと、思った記憶が今でもあります。

T社様から教えて頂いた
先義後利の精神で
「業界の色眼鏡に染まらず、当たり前の事を当たり前にやる」

その思いで、一つ一つ
会社を変えて行きました。

最初は会社の皆から
「素人が何言ってるんだ」と批判も受けましたが

「素人だからこそ、自分の意見は消費者である
 お客様に一番近い!」

と頑固に、反発しておりました。

悔しいので、宅建、建築士の資格も取得。

それでも一人前とはいえない、
素人の2代目の若造に対して
最初は文句を言いつつも
変革についてきてくれたスタッフ。
好き勝手にやらせてくれた両親には今でも感謝です。


感謝。いままでもこれからも…
当たり前の事を当たり前にやる
凡事徹底の精神を貫き
工務店の真の姿である、地域密着の経営
そして我が社のビジョンである
「この地域になくてはならない存在になりたい」
という夢を掲げ、一歩一歩前進していった結果、
地域のお客様が、一人、そうしてまた一人と
建築のご依頼をして頂き、
気づけば、地域ではナンバーワンの住宅・不動産会社にまで
成長させて頂きました。

本当に、お客様、地域の皆様
スタッフの皆、職人の皆、そして家族に感謝です。

長々とした文章になりますたが
ここまでが今までの弊社と私の歩みです。

これからはナンバーワンの地位に奢ることなく
常にサービスの成長を続けて行きたいと思っております。

家づくりは、建てて終わりではなく
建ててからが本当のスタート。

本物の地域密着の理想の工務店像を追いかけ
今日も走って行きます。

今でも、そうですが
決して100点満点の会社にはなれません。
色々な改善することが、成長するにつれ
またどんどん出てきます。

でもそれを一つ一つ反省し、改善し、成長し、
決して100点満点ではありませんが
皆様から
「この地域になくてはならない存在」と言って頂けるように
自分も含め、スタッフ一同、精進して参ります。

建築経営のサービス向上は終わりなき旅。
高みを求め、今日も新たな道を切り拓いていきます。

夢と情熱と信念をこめて。

無料資料請求へ

ページの上へ

Copyright (C) KOWA CONSTRUCTION. ALL RIGHTS RESERVED.